2011.09.04

三歩進んで三歩下がる。

さっきから何度も何度も、文章を書いては消している。
mixi離れ云々とは全く別の理由で、言葉を綴ることが怖くなっている。
じゃあ黙ってればいいじゃん、と言われそうだけれども、
確かに伝えたい想いや残しておきたい感情は日々あって、
いざそれを綴ろうと思うのに、途中でどうしても手が止まってしまう。


別に何書いたって死ぬわけじゃないんだし、
もっとラクに書けばいいんだろうけど、
自分の言葉で誰かを傷つけたり不快な気分にさせたりしてしまわないか、
ううん、違うな、
自分の言葉で自分が傷ついたり不快な気分にさせられたりするのが、
たぶん嫌なだけなんだ。


何言ってるかよくわからないよね。ごめんね。
でもそれくらい、僕にとってはショックな出来事があったんだよ。


えーと、とりあえず僕は元気です(身体的な意味で)。
かかわってくれているみなさま、いつもありがとう。
気長に見守ってやってくれたら、嬉しいです。

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2011.08.15

ありがとう福島。

わけあってちょっとだんまり状態続けてますが、わたしはそれなりに生きてます。いろいろと書きたいこともあるのだけれど、うまく言葉に綴れる自信がなくて、Twitterすら更新を控えめにしている今日この頃であります。世間一般では夏休みシーズンなのでしょうが、わたしは特に関係ないしね。


それにしても今日開催されていた世界同時多発フェス「PROJECT FUKUSHIMA」。DOMMUNEで少ししか観られませんでしたが、間違いなく世界規模で画期的な、とても意義あるイベントだったと思います。現地に足を運んでこの目で耳でカラダで体験・体感したかったところですが、PCの前でも配信で(しかも各ステージをタブ切り替えで!)参加できたおかげで、どうしても聴きたかった和合亮一さんの詩の朗読を聴くことができました。特に、福島連詩の会・福島群読団2011の方々による、「福島!」「福島!」「福島!」の連呼には鳥肌が立ちました。今、自分はものすごいものを観ている! という興奮。言霊の力。ただただ、圧倒されました。


夏のせいなのかなんなのか、正直ちょっとこのところ元気がないのですが、明日も生きていかなきゃね、という力のひとしずくをもらった感じです。
8月も、あと半分。

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2011.08.04

福よ、興れ。

正直に言えば、ずっと拭えない罪悪感のようなものがあった。チャリティライヴをやっても、いくら募金をしても、本人にそのつもりはなくても、結局は僕がいちばんそうありたくはないと思っていた、「実際に被災してもいない他所者が、遠くから小声でガンバレと言っているだけ」に過ぎないのではないか、と。


震災から5ヶ月が経とうとしている今、原発事故の状況は相変わらず深刻で、遂に10Svというとんでもない数字まで出てきてしまう始末だけれど、地震や津波で被災した町や人々のニュースは、そのせいで少しずつ霞みつつあって、はっきり言って東京ではもう震災は「なかったこと」になっている、気がした。そんなことないよ、という人もいるだろうけど、少なくとも僕にはそう思えたし、肝心の僕自身の中で、震災のことが風化しつつあることがたまらなく怖かった。


7月のシフトで思いがけない連休をもらえたことで、決心がついた。被災地へ行く。ボランティアで。自分に何ができるかわからないし、何をすべきかもわからないけれど、きっと足を運ばないことには何も始まらない。そう思った。あれこれとネットで情報を掻き集めているうちに、旅行会社主催のボランティアツアーがいくつも開催されていることを知り、僕は7/29~31の二泊三日、宮城県の南三陸町行きのツアーを選んだ。
南三陸町は宮城県の中でも最も被害が甚大だった地域で、ほぼ町ごと津波に飲み込まれてしまった場所だ。そんな町で、一日も早く町が、人が、復興するように、そして、いつの日かこの場所から「福」が「興る」ように、と、被災者の方々自らが企画された「福興市」というイベントが毎月開催されている。僕たちの仕事は、その会場設営のボランティア活動と、実際に「福興市」で買い物をして経済的支援をすること、同じように経済的打撃を受けている温泉地のホテルに泊まること、の三つ。
瓦礫の撤去や泥の掻き出し、食事の炊き出し、物資の提供、などなど、もっと直接被災地や被災者の役に立つ方法はたくさんあるにもかかわらず、なんだかこれっぽっちのボランティアでいいのか、と申し訳ない気分もあったが、現地で活動するボランティアの方や、被災者の方が口々に言ってくれた、「来てくださってありがとうございます。それだけでまず、嬉しいんです」という言葉に、まずは縋ることにした。


東京を夜行バスで出発したのは、小雨が降り出した29日23時。心配していた乗り物酔いも全くなく、今まで夜行バスで眠れた試しがないのに爆睡。いざ南三陸町に到着したのは30日の朝7時頃、こちらも生憎の空模様。
わざわざバスまで挨拶に来てくださったのは、これからお世話になるボランティア団体の方と、かつては観光ガイドとして現地で働かれていて、被災された後は「語り部」として当時の様子を語り継いでいるガイドの方お二人。彼らに導かれて、まずは現地を直接歩いて回ることに。

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足を、踏み出す。

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南三陸町志津川の町並みを見下ろす高台にある、志津川中学校前からの眺め。何もない風景が広がるが、ここはかつてたくさんの家々があった場所。この町では今もなお、新たな遺体が発見され続けているそうだ。

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草花が少しずつ芽蕗いている。僕はずっと「to U」のあるフレーズを思い出していた。

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南三陸町役場防災対策庁舎。建物全体が津波に襲われ、屋上で助けを求めていた人すら流されていった場所。津波に飲み込まれる直前まで、防災無線で住民に避難を呼びかけていた、女性職員の方のエピソードはご存知の方もいらっしゃると思う。ここで一同、亡くなられた方々へ黙祷を捧げる。

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誰かの思い出の品だろうか。いつか持ち主の元へ届くことを願うばかり。

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仮設住宅の建設は着々と進んでいる。が、様々な事情により希望する人全員が入居するとは限らないらしい。仕事もなく身寄りもなく、買い物も不便な場所での「自活」が困難であることは、僕にも少しは想像がつく。

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森の木々が茶色く変色しているのは、潮で焼けてしまったのだという。襲いかかってきた津波の高さを物語る。

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未だ手つかず、屋上に乗り上げたままの車が一台。


ガイドの方が仰られる通り、確かに瓦礫は大幅に片付けられている。それでも当時の出来事を(さぞかしお辛いであろうに)語ってくださるうちに、どうしても流れる涙を止められない姿を、僕は直視できずにいた。どれだけ町が綺麗になっても、建物が整備されても、そう簡単に人の傷なんて癒えるわけがないと、僕らはもっと思い知るべきだ。


一路、翌31日に開催される「福興市」会場となるスポーツ交流村へ。降ったり止んだりを繰り返す中、肝心のテント設営の時間に限って大雨。レインコートも軍手も役立たないほどに全身びっしょり。それでも地元の方々やボランティアの方々は全く気にせず働く働く。てきぱきと、きびきびと。そんでもって、みんな元気。そして笑顔。
ほぼ全てのテントが出来上がったのを見届けた後、明日のイベントの成功を祈りながら、会場を後にして宿泊先の秋保温泉へ。(真面目にボランティアしてたのでこの間の写真はありません。念のため)


ホテルは6人相部屋だったので人見知りの僕としては緊張していたのだけれど、長距離の移動とボランティアでの疲れのおかげで21時過ぎには眠ってしまい、そのまま朝を迎えたので緊張するヒマもないまま最終日。早速「福興市」会場へ。

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結局この日も雨での幕開けとなったものの、午後には晴れ間も覗いて、最終的には18000人(!)もの人出で大賑わいだったとのこと。よかった!


「ボランティアに行ってきます」としか言わずにいたので、さぞ世の為人の為になることをしてきたんだろうと思われている方もいそうで、半分は楽しんでてスミマセン、という気もしなくはないけれど、それでもいいから一度足を運んでみるといいよ、と本気で僕はお勧めをしたい。「行動力あるね、エラいね」みたいに言ってくれる人も多かったけれど、全然そんなことないよ。誰でもできるよ。そして、誰かの口癖じゃないけれど、行けばわかるものが、きっとあるよ。
僕は必ず、また訪ねようと思っている。


それにしても二泊三日、いろいろなものを食べさせていただいたけれど、いちばん美味しかったのは、おそらく被災地の方がにぎってくださったのであろう、到着初日の朝、バス車中で食べたごつごつしたでっかいおにぎりだった。この場をお借りして、届く筈もない感謝を伝えたいと思う。

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2011.07.29

Bon voyage 自分。

よりによってボランティア参加日に限って南三陸町、雨の予報ですと。最高気温21℃(!)ですと。ま、それもまたよし、か。


というわけでいよいよ今夜、深夜バスに乗っていざ、行ってまいります宮城県。こちらのサポートに参加してまいります。


そりゃあね、できるものなら瓦礫の撤去とかチャリティライヴとかしたいけどね、今、わたしにできることはそういうことではないと思うからね。粛々と、町の復興を応援してきたいと思います。暑さ対策に「水で冷やすだけで○時間」なるクールタオルを持参しようとしたら、そもそも水道が復旧していませんでした。わたしはばかものです。もっともっと、被災地の「いま」を、この目に焼き付けてこようと思います。


もうみんな自分のことで精一杯な時期かもしれないけどさ、こんなわたしでももしかしたらまだできることがあるかもしれないからさ、まだまだ、声に出して、口に出して、足を踏み出して、行(生)きましょう。

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2011.07.27

広瀬川流れる岸辺まで。

ささやかながらも平伏しながらありがたく戴いたボーナスなるものを、今年ほどボーナスっぽく(?)使ったことは今までになかったような気がします。ていうかボーナスもらった回数、カンタンに数えられるくらいしかないけど(汗)。おかげさまを持ちまして地デジ化も無事完了したしね。BSってこんなにチャンネルたくさんあったのねー、みたいな。超今更。但し、地デジ化完了直後に急ぐ必要がなかったことも発覚しましたが(泣)。(ウチのマンションはケーブルテレビのデジアナ変換対応済だったの……)


そして、せっかくなのでもう一つ、有意義に使おうと思いまして。今週末、南三陸町へボランティアに行ってくることにしました。ひとりで。
勿論、たかだか一回行ったくらいで誰かの役に立ったつもりや、何かをわかったつもりになるなんておこがましいにも程があるけれど、少なくとも僕はこの目と耳と体で、街の空気を吸い込んでこようと思います。うたをうたうsolaでなく、介護士の僕でもなく、ただの本名の僕として。そして、微力ながらも町が元に戻るためのお手伝いが少しでもできれば、と。行った自分が真っ先にぶっ倒れないようにだけは気をつけなければ。←本気で心配


このところ大きめの余震が立て続けに起きているので、僕も含めてこれ以上傷んだりしないように、祈っててやってください。それでは、まずはこれから夜勤に出かけてまいります。


因みに広瀬川という川は、宮城にも群馬にも流れているんだよ。

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2011.07.16

地デジやっぱいるよ、夏。

Twitterで誰にも求められていない垂れ流し実況を続けておりましたが、おかげさまで無事、一昨日我が家の地デジ化が完了いたしました。わーいわーい。以下、それなりにいろいろあった顛末のまとめなど。


■7月7日
新宿ヨドバシにてテレビを物色。候補をソニーBRAVIAの2機種に絞る。相方氏は機能充実・3D対応の若干お高い32型を激しく勧めてくるのだが、自分としては本体デザインとカラー(ブラウン)とお得な値段に惹かれて、ワンランク下の26型に興味津々。とりあえずまだお金も持ってないし、もう一晩悩んでみることにする。


■7月8日
初志貫徹、26型を買うことに決めて、一路新宿ヨドバシへ再び。無情にも売切れ。号泣。メーカー在庫もなく、新宿中の家電店を全て回ったがどこにも売っていない。昨日は確かに売ってたのに!!! と今更悔やんでも後の祭り。一縷の望みを託して秋葉原に足を伸ばしてみるが、ここでも玉砕。新宿に舞い戻り、相方氏お勧めのお高いテレビで手を打つことにする。
が、ついでに家のネット回線を光にすると30000円引きですよ、なるキャンペーンをやっているとのこと。猛スピードでいろいろ計算し、デメリット皆無だったので即申し込み。おかげさまで39800円でテレビを手に入れる。万歳。


■7月11日
休日。まずは10年以上お世話になったソニーVEGAにお別れを告げるべく、テレビ周りに散乱している荷物の整理開始。少しずつテレビそのものへの道が拓かれていく。(どんな部屋だ
途中「徹子とガガの部屋」を観なければいけなかったので(義務)一時作業中断。
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テレビの上に載せていたテレビ台(そういうモノがあるのよ)を取り払い、その上に更に載せていたWiiリモコン受光部とミエラジ(!)を取り外す。ミエラジはかつてどこかからか無償レンタルした筈なのだけれど、もはや問い合わせ先を調べても出てこず返却したくても方法がわからない始末。
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VEGAに繋がれていたケーブル類を全て外し、埃を拭きとる。ウェットティッシュを膨大に無駄にする。
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部屋からテレビを出……出……入口が狭くて出ない(!!!)。前にも後ろにも戻れず、クソ重いテレビを抱えたまま微動だにできないわたし。ぶつかってはいろんなところから降ってくる荷物を足で蹴飛ばしながら、気合で持ち上げてなんとかキッチンまでテレビを運び出す。21型ブラウン管テレビのデカさに憤慨。肘を擦りむき、腰と肩を痛める。(既に危機
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作業中断。整骨院へ。(真剣にケガしてる自分


■7月12日
テレビがなくても案外なんとかなってしまう。地デジ化の必要性に今更ながら悩み出すw


■7月13日
夜勤に出発。翌日15時にはテレビが届く予定なので、無事故で仕事が終わることを祈る。


■7月14日
夜勤終了。山盛りの書類を書かされるオチがつき、職場を出たのは13時過ぎ。慌てて帰途につき、自宅に到着したのは14時50分。徹夜明けの体に鞭打ち、ひたすら宅配業者を待ちながら、最低限恥ずかしくない程度に玄関先を片付ける。因みに我が家の「最低限」のハードルは限りなく低い。
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そして15時30分、業者キタ━━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━━!!
   ↓
まずはリサイクル手続きから。さようならVEGA。
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玄関の外でおもむろにNewテレビの組み立てが始まる。どきどき。でもよくよく考えてみるといきなり新品のテレビを廊下に置かれたわけで、そおゆうのはできたら家の中でやってほしい気もしたがグッと堪える。
   ↓
部屋への設置まで無料でやってくれるとのことだったが、無造作に「ここに置けばいいですか?」と玄関先にぽいと置かれる。まぁ、多少片付けたとはいえ部屋は革命的に散らかっているので、恥ずかしい思いをせずに済んだと前向きに考えることにする。
   ↓
受取サインを流暢に書き殴る。画数の多い苗字はこういうときに面倒。田中サンとか小山サンとか井上サンとか、そういう人への婿入りを考える。(嘘
   ↓
遂に、部屋にテレビを運び込む。さすがの液晶テレビ、薄いは軽いはで楽々入る。まずはスタンド部の保護フィルムをちまちまと剥がす。(んなこた後でやれ
   ↓
テレビ台に載せてみる。幅、超ギリギリセーフ!(もしくは限りなくセーフに近いアウト)
   ↓
アンテナ線を繋ぎ、コンセントを繋ぎ、初期設定を言われるがままにやってみる。
   ↓
「アナログ放送終了まであと○日」
表示消滅キタ━━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━━!!
地デジ化完了!!!


というわけで、我が家で観た最後のアナログ番組は「徹子とガガの部屋」、最初のデジタル番組は大相撲中継でした。どうせなら徹子vsガガを大画面で観たかったがまぁよしとしよう。

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2011.07.13

予定通りに夏が来る。

梅雨も明けて、すっかり夏でございます。このところは湿度も少しだけ控えめな感じで、まだ本番直前ってところなのかな。


震災から4ヶ月が経ちました。
実は先日、たけださとしさんのポッドキャスティング番組の収録で、被災地出身のミュージシャンの方と対談するという企画を設けて頂いたのですが、実際に被災地に赴き、ボランティアをされ、音楽を届けてきた人の話を聞くと、あらかじめ予想していたことではあるけれど、僕はただ頷くことしかできなくて。所詮僕は、足りないアタマで想像だけを巡らせて、取るに足らないことしかせず、キレイゴトを並べた曲を書き、歌い、自己満足して、今やあの日の記憶すら薄れかけている、ただの薄情者でしかないんじゃないか、と。近日中に番組がOAされるかと思いますが、とにかく僕は、喋っていません。ただただ彼の話の凄絶さに打ちのめされながら、耳を傾けるだけで精一杯でした。


僕は楽器を抱えてひとりで弾き語りできるミュージシャンではないので、サポートしてくれる人がいて初めて、うたをうたうことができます。次のライヴの予定は今のところ全くの未定なのが歯痒い限りですが、できることなら「僕らが奏でる祈りのうた」も「ソラニワ」も、僕の中であの日の記憶が完全に風化してしまわないうちに、そして僕が生きているうちに、また開催したいなと思っております。でも、先日感じた打ちのめされるほどの無力感を、まだどうしても拭えなくて。


街は回ってゆく。人一人消えた日も。
何も変わる様子もなく、忙しく忙しく先へと。


みゆきさんの「永久欠番」という曲の歌詞ですが、今の東京は節電キャンペーンのせいでほんの少し薄暗いことを除けば、震災なんてまるで何もなかったかのように回っているような気がしているのは、僕だけではないと思います。いつまでもいつまでもしょんぼりしていろ、と言いたいわけでは勿論ないけれど、もう、本当に忘れてしまっている人もたくさんいるんだと思うのです。
まだ、何も終わっていないのに。
まだ、何一つ凪いでいないのに。


何をすべきかなんて、わかりやすい答えなんてたぶん存在しないのだと思うけど、だからこそ、これからも手探りで見つけ続けていきたい。そろそろ音楽が力になることもあるだろうし、たかが僕にでもできることもあるかもしれないし。


一度、被災地に行ってみようと思っているのです。

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2011.06.04

静かに、静かに。

昔、あなたの言うことは正論なんだけど、だからこそムカつくんだよね、って言われたことがある。結構、がつんときた。それ以来、「正義の押し売り」に必要以上に過敏になってしまった気がする。


どうしても納得のできない出来事があって、わたしとしては珍しいのだけれど、ネット上で自分なりの意見をぶつけてみた。そもそもの物事の捉え方がたぶん異なっていたせいで全く意見は相容れず、結果、相手からフォローを切られた。なんだか、寂しかった。


あの人の正しさは、たぶん間違ってはいない。けれど、他の人の正しさを許容しない正しさなんて、果たして本当に「正しい」のだろうかね。


僕が口を噤めば、あの人は気分がいいんだろうかね。


いっぱいいっぱい、本当は書きたいことがあるんだけどさ。
なんだかこれが精一杯だよ。

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2011.05.22

自転車風を切ってぐんぐん漕いでる。

Twitterに慣れてくると長文を書くのにますます時間がかかるようになるねえ。ただでさえ推敲に推敲を重ねた挙げ句に「もうわけわからん、えいっ」とばかりに勢いで投稿ボタンをクリックして、読み返して愕然、てなことがほぼ毎回なのに。


というわけでもうすっかり過去の話になってしまったのですが、わたくし、先月末から約10年振りに自転車生活が復活したのであります。とはいえ自宅のある中野でではなく、職場のある川崎にて。
職場の自転車マニアな先輩からありがたくも一台お譲り頂けるとのお話があり、職場最寄り駅の駐輪場が空くのを首キリン状態でお待ち申し上げていたのですが、なんと空きが出るまでに一年近く(!)かかりまして、漸く満を持してプジョーのミニベロをゲットしたのです! わーい☆

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(※画像はほぼ同タイプの拾いモノ画像です)

長らく自転車に乗っていなかったせいもあって、ミニベロ独特の乗り心地に最初はかなり戸惑いましたが、やっと慣れてきました。バス&徒歩で駅から所用時間20分のところを10分足らずでご出勤。快適、時間短縮、エコロジー、おまけに老体に鞭打ちながら体力増進(笑)。途中に心臓破りの坂があることを除けばいいことづくめです。


が。
このミニベロ、そのマニアな先輩が通販やらオークションやらで掻き集めた、数々のパーツを組み立てた末に出来上がっている超カスタマイズモデルなので、販売証明がない→防犯登録ができない、のですね。東京では譲渡証明があればOKらしいのだけど、神奈川はダメなんですと。だもんで、夜道でうっかり職質とかされようものなら間違いなく詰問されそう。素直に事情を話せば大抵問題ないらしいけどね、不愉快は不愉快だからねえ。やはり一度多摩川を越えて防犯登録サイクリングツアーに出かけるしかないか。。。


何事もカタチから入るタイプのわたくし、これを機にリュックサックを新調しようとあれこれ物色中なのであります。かれこれ5年近くお世話になっている犬印鞄で買うのもよいのだけど、他にもなんかないかなー、と探していて見つけたのがコレ。強度が不安なのだけど(ついでにちょっとお高いけど)欲しすぎるーーーーー。

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2011.05.16

黙礼。

NHKの堀潤アナウンサーのツイートと、和合亮一さんの一連のを読んで、ずっと言葉にしたかったことを、乱雑ながらも編んでみました。


「黙礼」

瓦礫の昔に 思いを馳せる
瓦礫の昔は 瓦礫に非ず
瓦礫も昔は 命を為して
瓦礫も昔は 形を為して

瓦礫の昔に 思いを馳せる
知らない昔に 思いを馳せる
あなたは何処で 生まれた命か
あなたは何処で 組まれた形か

瓦礫の昔に 祈りを捧ぐ
ただ立ち尽くして 祈りを捧ぐ
瓦礫を命に 還す術無く
瓦礫を形に 還す術無く

瓦礫の叫びを 聴き取れ学者 
聴こえぬ叫びを 聴き取れ学者
御託を並べて 還る者無し
血で血を流して 還る者無し

私に瓦礫と 名付けてくれるな
私を瓦礫と 纏めてくれるな
かつては命 かつては形
ひとつひとつで 生きていたもの

私は見つめる 命なき者
私は見つめる 形なき者
瓦礫の昔は 命の証
瓦礫の昔は 形の証

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