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2011.03.30

もう二度と笑顔にはなれそうもないけど。

やりきれない話ばかりを耳にする。


ニューヨークタイムズが伝えている「日本大震災」の写真ニュース。福島県須賀川市の野菜農家の男性が自ら命を絶ったというニュース。陸前高田で医療活動に入ったひとりの看護師による10日間の壮絶な記録。スピッツ・草野正宗氏が急性ストレス障害で倒れてしまったというニュース。被災地で守るべき人たちと共に避難所生活を続けている友人。ライフラインが復旧せず、寒さに耐えきれず消えていく命の灯火を、なすすべもなく見届けていくしかない友人。職場に新しく迎え入れることになった、被災地からの療養者。これからどんどん増えていくことになるだろう。


どんなに言葉を尽くしても、足りる筈もないほどの現実。


たぶん今の僕は草野氏と同じような精神状態にあるのだろうと自覚している。偶然にももともとうつうつ予備軍だったおかげで、地震の少し前からクスリを再び飲み始めたせいか、まだどうにかなってるだけで。
天災と人災がいちどきに訪れて、悪い知らせばかりが耳をつんざくように届いて、紛れそうに聞こえるほっとする知らせは、本当に本当に小さなものでしかなくて、この状況の中で動揺せずにいるには、よほど強靭な精神力が必要な気がしている。そして今の僕にはそれが圧倒的に足りない。我が身の無力感に苛まれて、嘆き、悲しみ、ただ涙を流すだけ。「正しさ」と「正しさ」が諍いを起こしている場面にも多く出会ってしまい、正視に堪えず目を逸らすことも多くなった。


節電を余儀なくされながらも、水道水に晴れることない猜疑心を抱きつつも、ライフラインが途絶えることなく日々を送れている、東京在住の自分。体験したことのないくらいの揺れと途絶えることない余震に翻弄されたけれど、街じゅうが停電して、職場も大混乱で、二泊三日泊まり込むはめになったけれど、今はこうしてPCに向かってお茶を飲みながら文章を打つことができている自分。幸いにも大切な家族もパートナーも友人も、全員の無事が確認できている自分。贅沢すぎるほどに幸せである筈なのに、この虚無感はどこから来るのだろうか。


わかってしまっている。
3.11以前の「普段の生活」なんてもう、戻ってこないということを。
「普段の生活」の定義が、あの日以来変わってしまったということを。
そして被災せずに、無事に日々を送れてしまっている自分のことを、
なんとなく申し訳ない気分になって酔いしれているだけだということを。


この地震が起こる前からずっと、世界中のあちこちで痛ましい事件や悲しい出来事はいつだって起きていて、こんなときばかり「のうのうと暮らしていて申し訳ない」だなんて、どれだけ呑気で勝手な言い草だと、我ながら思う。「○秒に一人、消えていく命があります」なんてフレーズを横目に見ながら、胸を張れることなんて何ひとつしてこなかったくせにね。右手を掲げて「被災地に救援物資を」と言いながら、左手で水やガソリンを買い占めてしまうのが、たぶん僕らの正体なんだろう。


だからこそ、
そんな自分から逃げないことにしました。
たとえそれが偽善でも。


否定的な意見も戴いたし、日本中に蔓延する自粛の風潮に何度も挫けかけたけど、やっぱり、うたをうたおうと思っています。
被災地の現場はそれどころではない、とお叱りを戴きそうですが、昨日のサッカーのカズのゴールを飛び上がって喜んでる被災地の子供もいたよ。勿論、たかが僕ごときが、被災地でもない東京の片隅でじたばたしたところで、被災地に住む誰かの足しになる筈もないし、自己満足でしかないのかもしれない、それは十分に理解しているからこそ、この二週間余り躊躇を続けていました。


でも、地震当日、被災地に対するあり余るほどの善意と、帰宅難民になりかけた人がいっとき縋れる場所を伝え続けていたTwitterのTLに、意図的か否かはさておき、誰かを傷つけかねない刃がちらつき始めた頃から、今、安らげる場所を求めているのは被災地の人だけじゃないのかもしれない、ということをぼんやりと思い始めたのです。取り急ぎ目立った不自由もなく、穏やかに暮らせている筈の他ならぬ自分自身が、今ここで、全く安らげていないことに気付いてしまったのです。地震の前後から個人的に抱えている面倒なあれこれも理由の一つだとしても、この息苦しさから早く抜け出したい、と、これを書いている今もなお、もがいています。


非力にも程がある自分だもんで、ひとりで届けられるお金も物資もありませんが、小さな声もたくさん重なればユニゾンにもハーモニーにもなるんじゃないかな、ってね。
もろもろ、調整に向けて動き始めました。
もしも実現しましたら、何らかの形でお力添え頂ければ嬉しい限りです。



自分の心のうちを整理したくて書き始めた文章にお付き合い頂いてありがとう。推敲もせずにアップしているので気に障る表現とかがあったらご容赦ください。でも申し訳ないのですがアドバイス的なコメントは求めていません。今の僕には「自称・正論」を振りかざされるのがいちばんキツいです。だってそんなことは自分がいちばんわかりきっているんだもの。


みゆきさんのうたのことばの数々が、ここぞとばかりにぐさりと突き刺さります。


「慌てた時に 人は正体を顕わすね」


「幸せになりたくて 人は変わってゆく
 幸せを追いかけて 狩人に変わってく」


「あの蒼ざめた海の彼方で 今まさに誰かが傷んでいる
 まだ飛べない雛たちみたいに 僕はこの非力を嘆いている」


「今はこんなに悲しくて 涙も枯れ果てて
 もう二度と笑顔には なれそうもないけど
 そんな時代もあったねと いつか話せる日がくるわ
 あんな時代もあったねと きっと笑って話せるわ
 だから今日はくよくよしないで 今日の風に吹かれましょう」

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2011.03.26

旅人は海を目指して。

いろんなことがここ暫くの間でありすぎて、日記に綴りたいことはたくさんあったのですが、まとまった文章を書くだけの心のゆとりが皆無でありました。家も命も無事なのに、何を甘えたことを言っているのだろうと我ながら思いますが、情けないことにまだまだ自分の身の回りのことで手一杯な日々です。


それでもどうにか踏ん張って、先週の土曜日に阿佐ヶ谷へ足を運んできました。風太郎企画25th「土曜日の旅人達」@NEXT SUNDAY。敢えてライヴを決行するという決断に至ったみんなの心意気を聴きに、そしてひとりでは立ち上がれなくなっていた自分の心を立て直す力を貰いに。
本当はみんなとたくさん話したいことはあったのだけれど、ただ音に身を委ねることだけで精一杯でした。ごめんなさい。つまんなそうに見えてなかったかな。そんなこと全然なかったからね。


こんな精神状態で聴きに行ったライヴなので、細かいレビューは書きません。開始直後に余震があったにもかかわらず、出演者もお客さんも、そして誰よりオーガナイザーの風太郎くんも、全く動じることなく冷静に対処してライヴが進んでいったのは、本当によかった。風太郎くんは25回めにして、素晴らしいオーガナイズを見せてくれましたよ。節電に配慮しての生音ライヴ、最高でした。自分の声と音で届けよう、そしてそれを受け取ろう、という想いが、ステージの上にも客席にもいつも以上に会場に満ちていて、今、ライヴをやる意味って、ちゃんとあるじゃん、と思わせてもらえたことは、僕にとってかけがえのない力になりました。
みんなどうもありがとう。


まだまだしんどいけれど、僕はどうにか生きています。
僕にできること、まだあるかな。探し続けてみたいと思います。
ゆっくり、ゆっくり。

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2011.03.18

続・僕らが奏でる祈りのうた。

「祈りのうた」というタイトルはもう自分で使用済みだったので、じゃ「凪」か、と思ったら先日山田尚史くんが同じタイトルで曲をアップしてたw でも他に相応しいタイトルがもう考えつかないので、このまま行きます。パクリじゃありません。偶然、です。


今の自分にできること、をいろいろ考え続けています。アイディアをTwitterで呟いたら賛同のご意見も現実的なご忠告も戴きました。どのご意見も「今の自分にできること」を真剣に考えてのものだと思えたので、たぶん正解/不正解で単純に二分できるようなことではないのだろうと思います。


「悲しみには言葉を与えよ。言葉にはメロディを!メロディには声を!その時、悲しみはきっと美しいものに生まれ変わる」加藤登紀子さんのツイートだそうです。僕はやっぱり、言葉とうたでできることがあるならばやろうと思っています。


「凪」

もしもそこが 暗闇なら 私はただ 手を伸べよう
何も持たぬ 掌でも 温もりなら ここにあるよ、と

もしもそこが 静寂なら 私はただ 呼吸をしよう
一秒ずつ 打ち続ける 胸のリズム 響かせよう

  その他に 与え得るものなど 何もない 私ですから

凪いでくれ凪いでくれと 両の手を合わせて祈る
もうこれ以上悲しいことは 起きないでくれとただ祈る


たかが私に できることは たかが知れた よしなしごと
誰の足しに なるとも知れぬ 小さな声 小さな熱

  けど、その他に 与え得るものなど 何もない 私ですから

凪いでくれ凪いでくれと 両の手を合わせて祈る
もうこれ以上荒ぶる波が 寄せないでくれとただ祈る


  あなたに 与え得るものなど 何もない 私だけれど
  祈ること ただ祈ることだけ 何度でも 繰り返すから


凪いでくれ凪いでくれと 両の手を合わせて祈る
もうこれ以上悲しいことは 起きないでくれとただ祈る

凪いでくれ凪いでくれと 両の手を合わせて歌う
いつかあなたが笑える日まで 死なないでくれとただ歌う

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2011.03.13

僕らが奏でる祈りのうた。

まだ思いつきでしかないので具体的なことは何ひとつ考えていないけれど、音楽で何かできないかなと思うのです。


停電の中、情報を入手できる限られた手段はワンセグとラジオだけで。真っ先に聴こえてきたラジオからの音声は、被害の状況を伝えるアナウンサーの声ではなく、「上を向いて歩こう」のインストゥルメンタルで。偶然にしてはできすぎの選曲。不安と緊張で張りつめた空気が一瞬で和らいだな、とか。


灯りが点かない間、真っ暗闇の中で不安気なお年寄りたちの心を解きほぐそうと、看護師が奏でた三線の音色と、誰からともなく歌い出した歌声は、疲れ果てていた職員たちにも言葉にできない安らぎをくれたな、とか。


これが音楽の力だ、って。


日付と場所さえ決めれば、ライヴくらいできるよね。そこで集まった何かを、被災地に届けることくらいできるよね(個人からの救援物資は役立たないことが多いから、募金でも何でも)。


何か、できないかな。
結構本気で、考え始めてます。

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2011.03.12

生存報告。

生きてます。
地震発生直後から5時間に渡り停電、水の備蓄も尽きるかもしれないという不安の中、非常食と差し入れの数々に支えられながら、ひとりの怪我人も事故もなく、無事に朝を迎えることができました。わたしは電車が止まっていたせいで帰宅を諦め、今夜も夜勤なので実質2日半泊まり込みですが。


飛び込んでくるニュースは、目を覆いたくなるものばかりです。


そんな中、電力供給が間に合わない恐れとの報。医療施設や介護施設などでは最もあってほしくない事態です。昨夜真っ暗闇の中で、懐中電灯の灯りがどれだけ心の拠り所になったことか! 些細な力かもしれませんが、できるだけ控えられる電力はOFFしてもらえることで、助かる命やほぐれる心があります。是非ご協力を!


遥かな愛しい人々に、悩みのない寝息があればいい。

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