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2010.05.30

世界に一つだけの灰色。

昨日、夜勤明けの寝ぼけたアタマでたまたま観ていた「さんまのまんま」に、マツコ・デラックスさんが出ておりました。最近あちこち出まくりだねー。しかもどれもハズレなし。素晴らしい。Twitterにも書いたけど、マツコさんは語彙が豊富だから、どの番組に出ているときにも切り返しが鮮やかで、安心して観ていられます。


でね、その「さんまのまんま」で明石家さんまと軽くオカマ談義になったとき、マツコさんがとてもわかりやすく「オカマとは」の解説をしてくれていたのです。さすがに正確には覚えていないので、ニュアンスだけかいつまんで書きますが、

オカマにもいろんなタイプがあるのよ。アタシは男の体で、男が好きで、でも女装癖があるの(笑)。例えばはるな愛ちゃんみたいな人ならわかりやすいのかもしれないけれど、ひとことで「オカマ」とか「ゲイ」とか言っても、白と黒の両端の間に、ものすごく広ーーーーいグレーゾーンがあって、本当にいろんな人がいるの。たくさんの「灰色」があって、全部違うの。

みたいなことをね。
さんまは「ほうー。なるほどー」なんて感心しながら聞いていたけれど、たぶんわかってて知らない振りをして、話を引き出していたんじゃないかな。


世間一般では今なお「オカマ」も「ゲイ」もみんな一緒くたで、おすぎとピーコとかはるな愛とかKABA.ちゃんとか美輪明宏とか、とにかくそおゆう人たちのこと、みたいな、まだまだ非常にざっくりとステレオタイプな解釈をされているのだと思います。
そういう中で、マツコさんの今回の発言のように、アタシみたいにわかりやすいタイプのオカマばかりじゃないのよ、と、だからもしかしたらアンタの隣にいるヤツがそうかもしれないのよ、と、多様性と身近さをさりげなく教えてくれるのは、とても貴重なことだと思うのですよね。案外、そういうことを言ってくれる人、少ないから。


さて。
なんでこんなことを長々と書いているかと言いますと。
先日、おともだちミュージシャン・KURO@Guzzle Pittさんが書かれた日記に端を発して(?)、「ゲイ・ミュージシャンとは」「セクシュアリティと音楽の関係性」等について、いろいろな人の、いろいろな意見を耳にすることができました。さりげなく僕も話の輪の中に混じらせても頂いたのですが、やはり僕の意見は少数派なのかなあ、というのが正直なところでねえ(苦笑)。バンドじゃなく、ソロでやっているからなのかな。


「ゲイ・ミュージシャンとは何ぞや」という定義も、「セクシュアリティと音楽との関係性」についても、僕には僕なりの考え方がありますが(もう過去に何度も書いているので、些かしつこいかと思い割愛しますが)、マツコさん曰くの「たくさんの灰色」があって当然だと思うのです。もともと、僕ら(と希望をこめて複数形で書きますが)LGBT当事者は、セクシュアリティの多様性を認めたい・認めてほしいと願っているわけだし、その他の事柄の多様性については知らん振り、というのは都合良すぎるし。
ただ、どうしても僕は、「ゲイであることと自分の音楽には何の関係もない」とは言えないのです。


「ゲイ・ミュージシャン」と括られるのは確かに窮屈だろうし、あらぬ憶測や要らぬ邪推を招きかねない自傷行為なのかもしれないけれど。前回の「ソラニワ」に僕はこんなコメントを寄せたのですが、つまりはこういうことなんですよね。

ご存知の方はご存知かと思いますが、ご存知でない方はご存知ではないかと思いますので(まわりくどい)、改めて説明させていただきますと、わたくし「ゲイ・ミュージシャン」などと名乗って活動を行なっております。
ま、いちいちそんなことを言い訳しなくても、音楽は音楽として楽しんでいただければそれでよいのですが、「ソラニワ」では敢えてその看板を掲げてうたわせていただきたいな、と。
例えば僕が寒々しいラブソングなんかをうたうとして(笑)、そこでうたわれている「キミ」とは、必ずしも女の子のこととは限らないんですよ、ということに、もしかしたら思いを馳せてもらえるきっかけのひとつになるかもしれませんしね。
もちろん、音楽は好きなように聴いて好きなように受け止めてもらうものなので、自分の解釈をゴリ押ししたいわけではないけれど、なかったことにされてしまうのもやっぱりちょっと寂しい。

僕は、僕の作ったうたに対して、できるだけ誠実でいたいだけなんです。例えばHIV啓発イベントやLGBTフレンドリーな何かに出させてもらうときに、黙っていることで「LGBTフレンドリーな人」と誤解してもらうのを、こっそり期待する自分ではいたくない、というだけなんです。


すみません、この日記を書きたくて書きたくて、結局一週間もかかってしまいました(笑)。拙文で恐縮ですが、特定の個人や団体を批判している意図は一切ないことを、念のため補足させてください。

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2010.05.24

ダイアログ・イン・ザ・ギンザ。

うつうつとの付き合いが始まってからは尚のこと顕著なのですが、やたらエネルギッシュな人とお目にかかった場合、その溢れんばかりのエネルギーのおこぼれを分けてもらえるときと、あまりのエネルギッシュぶりにアレルギーを起こしてしまうときがありまして。よほど運が良くない限り、大抵の場合は後者だったりするんですよね。だもんで、この一年、人付き合いという意味ではかなり消極的だったのですが。


そんな中、mixiの日記をきっかけに、約一年、文通さながらの細々としたコメント&メッセージのやりとりを経て、気がつけばありがたくもマイミクになって頂いた方がいらっしゃいまして。遂に昨日、初のご対面を果たすことができたのでありました。
夜勤明けの無精髭&ボサボサ頭(これはいつもですが)での初対面となり、途中でうっかり事切れて寝ちゃったらどおしよ、と不安だったのですが(失礼)、巧みな話術に乗せられたおかげで、むしろ要らぬ情報まで喋ってしまう勢いで、あっという間の4時間でございました。
日記から薫る人となりを何割か増すほどにエネルギー漲るお方でしたが、彼のこれまで積み重ねてきた人生経験がきっとそうさせたのであろう、なんとも言えない口当たりのまろやかさのようなものが醸し出されていて、プラスもマイナスも含めて、人生に無駄なことってたぶんないんだろうな、と改めて学ぶ思いでありました。師匠と呼ばせて頂こうかしらん。うそ。うそかよ。


本当はかの有名な「キルフェボン」のイートインコーナーで、優雅なティータイムを過ごす筈だったのですが、まさかの50分待ち(!)に挫けまして、テイクアウトで我慢することに。
さくらんぼ好きのわたしとしましては、値札に目を疑いながらもゲットしてまいりましたよ「佐藤錦のタルト」
104749431
ホールで買ったら10000円オーバーですよあなた!! とりあえずコレ買っちゃったので、今日は三食牛丼ですよ!!!(ホントか)


というわけで、みつまるさま。うれしいひとときをありがとうございました。またいずれ、御本の感想と「書いてうれしい住所」(笑)について、熱く語らえるひとときを設けましょうぞ。

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2010.05.08

ただ、うたうだけ。〜「ライブテープ」に寄せて〜

僕は、うたをつくって、うたっています。
(日々の割合で言えば、ごくたまに、ではありますが。笑)


この文章を読んでくれている人の殆どは、僕がうたをうたっていることをきっかけに巡り会った人です。勿論、中には僕の音楽活動を全く知らない人や全く興味のない人、僕がうたっているのを見たことも聴いたこともない人もいる筈ですが(この文章で初めてお目にかかる人もいらっしゃるでしょうし、ね)、ここでこうして綴っている文章のひとつひとつが、僕がうたをつくり、うたうことを、こっ恥ずかしい言い方をしてしまえば「ライフワーク」としているが故に、辿り着いて感じたり考えたりしたこと、であるように思うので、そういう意味では、全ての人が「音楽つながり」だと言えるでしょう。


閑話休題。


僕は、ゲイです。
(日々の割合で言えば、ほぼ100%そうです。笑)


全てのゲイがひねもすオトコのことばかり考えているわけではないのと同じで、必ずしも僕がつくるうたや僕が綴る文章が、たとえ直接的であろうと間接的であろうと、セクシュアリティにまつわっているわけではありません(日記やつぶやきに関して言えば、そうでない内容の方がはるかに多いかも)。でも、先ほど書いたことと同じ考え方をするならば、僕がゲイであるが故に、辿り着いて感じたり考えたりしたこと、であるようにも思うのです。


僕は、僕がつくったうたが意外と好きで、それをもしも他の誰かが気に入ってくれたら、尚更に嬉しく思います。僕のうたが、いつかどこかで誰かの風景を彩っているとしたら、これ以上の歓びはないかもしれません。
だからこそ僕のうたが、力不足が故ではなく、僕がゲイであるが故に、拒まれたり、粗雑に扱われることがあるのだとしたら、やっぱりそれはとても、寂しいのです。


余計なことは言わずに、ただ黙ってうたをうたっていれば、たとえば好きになってもらえるのだとしても、僕はそれを望みません。ゲイである僕を、あなたが受け入れてくれなくても構わないから、ただまっすぐに、ただうたの力だけで、あなたの心の許まで届くよう。
そういううたを、僕はつくって、うたいたい。
僕はただ、うたうだけ。
迷いなく、惑いなく。


吉祥寺の街に、凛とした歌声を響かせた、あの彼のように。

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生きていかなきゃね。

ご本人の承諾も得ずに申し訳ないのだけれど(笑)、たけださとしさんのmixi日記からちょっと引用させて頂きますと。

ぼくが印象に残っている言葉に、美空ひばりと岡林信康とのやりとりがあります。ずいぶん前にスポーツ紙のコラムで読んだ話です。

最近の週刊誌の記事にもありましたが、この二人はとても仲が良くて、最初にその関係を知った時には、へぇぇと思ったものです。で、ある時、ひばりさんが岡林氏に言うには、「アナタ、歌い手は歌が上手いなんて言われたらおしまいよ」と。岡林氏はおどろいて、理由を聞くとひばりさん曰く、「だって、歌が主役なのよ。歌が終わって、あぁ上手い歌手だったというのしか残らなかったら、どうしようもないじゃないの」


昨夜、吉祥寺バウスシアターで「ライブテープ」を観てきた。
Main
観終わった後にすぐ思い出したのは、たけださんの日記で紹介されていた、この美空ひばりと岡林信康とのエピソードだった。


「ライブテープ」は、2009年元旦の吉祥寺の街を、ミュージシャン・前野健太氏がギターを弾き語りながらただひたすら闊歩し、井の頭公園に辿り着くラストシーンまで、74分1カットで撮影された作品。
僕も最初は、「弾き語りしながら街を歩く」「74分1カット」という、「そんな映画観たことない」というごく表面的な興味を抱いたのだけれど(不勉強ながら、前野健太氏については存じ上げていなかったし)、それは決して形としてチャレンジされた「目的」ではなく、この方法でしか表現し得ないものを炙り出した「結果」であったのだろう、と、観終わって一日経った今、そんな風に思える。


前野氏の声にまず、惹きつけられた。ルックスから想像するよりも少しだけ甘くて幼さを漂わせた、それでいて凛としてきちんとことばが届いてくる、そんな歌声。
道中、監督とちょっとしたやりとりが挟まれながら、旅は続いていくのだが、正直、最初のうちこの演出(?)はちょっと邪魔な気がしていた。でも後半、そのやりとりに隠されていた本質が浮き彫りになってきて、ああなるほどそういうことか、と唸らされた。


この映画は、前野健太氏の旅でもあり、
松江哲明監督自身の旅でもあるんだ、と。


「ライブ」とは音楽が奏でられるという意味での「ライブ」であり、74分間をまさしくリアルタイムで追いかけた「生」という意味でもあり、前野氏や松江監督だけでなく、行き交う人々、聞こえるノイズ、映る街並、それらがこの瞬間に「生きていた」という意味でもある、のではないかな。
「100年後 君と待ち合わせ」と映画の中でうたわれてはいたけれど、100年後、この映画に映っているものの中で、生き続けているものは殆どないに等しい筈で。でもこの映画がここに在ることで、2009年元旦の吉祥寺の街は、前野氏のうたとともに真空パックされ、きっと限りなく永遠に近く「ライブ」していくのであろう。


ドラマティックなことは、特別起こらない。前野氏がうたっているのを横目に見ながら、立ち止まる人も多くはない。気がついたらみんなで合唱してパレードになっていた、なんていかにもおめでたいハッピーエンドに結びつくわけでもない。なのにラスト、井の頭公園でうたわれる2曲が、どうしてあんなに清々しく響き渡るのだろう。


そこにはうたしかなかったから、なのではないだろうか。


いろんなことがあるのが人生で、映画監督はそれでも映画をつくり、うたうたいはそれでもうたをうたう。
「あなたにとって映画(音楽)とは何ですか?」なんて莫迦げた質問を、問いかけてくる輩は多いけれど、それがわからないから、またうたをうたい、映画をつくっているんだと思うよ。そうやって答えを見つけるための旅の一頁、それが「ライブテープ」なんだと思うよ。


「ライブテープ」は、映画でも音楽でもドキュメンタリーでもなく、「ライブテープ」という名前の何か、です。
音楽や映画で世界を変えることはできないかもしれないけれど、それでもうたわずに、撮らずにはいられない、熱のようなものを信じている人には、きっと響くものがある作品だと思います。

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2010.05.04

コラーゲンよし子。

超絶的にキレイな朝焼けを愛でつつ、何事も起こらずに終えられた夜勤明け、汗と疲れを流しに行きつけの日帰り温泉に足を運んできたのですが、着いてから「そうだ、今日はGWど真ん中だったんだ」ということに気付き、僕が受付を済ませた直後には、ロッカー待ちの入場制限がかかってました。おかげで、いつもは平均年齢が確実に50を超えていると思しき客層が、一気に20代くらいまで引き下がり、いろんな意味で楽しめました(笑)。ここぞとばかりに長湯してしまい、すんませんお待ちのみなさま。


それにしても常々疑問に思っていることのひとつなのですが、お風呂で本を読む人ってそれなりにいますよね。あれ、ヤじゃないのかな。僕、濡れた手で本のページをめくるなんて絶対にできないんですけど。読み捨てられる雑誌(@伊代)であればまだしも、文庫やハードカバーなんてとてもとても。湯気でふやけちゃいそうな気がするし、うっかり落としたりしようものなら!
昨日の温泉は茶褐色の源泉だったのですが、そこで器用に文庫本のページをめくるおじさまがいらっしゃって、何も今ココでその本読まなくても……と思ってしまうわたしが無粋なのかしらん。お風呂で読む本はまた格別なのかしらん。ううむ。深い。


ひと風呂浴びた後は最近すっかり常連化しているLasah@二子玉川に立ち寄り、摘みたて新茶のお茶会に参加してまいりました。
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2時間足らずの間に10種類近くのお茶を啜れて、満喫満喫。何煎も淹れることでどんどん味も香りも変わっていくのがまた面白くて、夜勤明けのカラダに染み渡っていったのでありました。どうもご馳走様です。


そして夜は謎の「コラーゲン卑弥呼」さんがALAMAS CAFEでDJをする、ということで、相方氏とふらり立ち寄ってまいりました。「中村中に激似ですが本人ではありません」とわざわざPOPに書かれていたり、最初から最後までツッコミどころ満載ではありましたが、DJブースでノリノリに「チョコレイト・ディスコ」を踊りまくる、中m……じゃなかった、コラーゲンさん(笑)を至近距離で拝見できただけでも、おトクなGW中日だったのではなかろうか。
久々にアルピーナちゃん(すっぴんモード)にもお目にかかれました。いつ見てもカモシカのような足のお方です。


帰宅後はさすがに撃沈、ほぼ半日眠った後でむっくり起き上がって今に至ります。今日が僕にとってはGW最後の休日。通算三日目ですが(泣)。

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2010.05.01

十年なんてほんのひとつ。

それはとりたてて特別な出来事もなく、
通り過ぎていったような記憶があります。
いきなりタワレコにCDが並ぶわけでもなし、
いきなり街行く人々に「ソラさん」と呼ばれ出すわけでもなし。
それでも、個人的には相当に覚悟を決めた一日になったわけで。
ゲイ・ミュージシャンとして一生残る足あとを踏み出した一日。


あれから10年。


CDをばんばんリリースしたわけでもなく、
ライヴツアーで全国を駆け巡ったわけでもなく、
ファンが押し寄せてサイン攻めに遭った記憶もなく、
それでも気がつけば経っていた10年というそこそこの月日。


「sola」などというこっ恥ずかしい名前を名乗り始めてから、
本日をもちまして10周年を迎えました。
何もしなくとも時なんて流れるものではありますが、
とりあえず「もう辞めます」と言わずに10年経ったことを、
まずは自分でお祝いしたいと思います(笑)。


それなりに、いろんなことがありました。
嬉しいことも、口惜しいことも、寂しいことも、絶望したことも。
それでも「またうたをうたおう」「またうたをつくろう」と、
次の「いつか」に思いを馳せるきっかけをくれたのは、
今日まで関わってくれた全ての人々でした。
ただただ、ありがとうございます。
これからも、とても約束なんてできないけれど、
いつかまた聴かせたくなるうたができたら、
鞄に詰め込んで会いに出かけたいと思いますんで、
気に入ってくれたらいいな。


年内にワンマンライヴをやりますよ、
とだけ宣言をしておきたいと思います。
よろしかったら今後ともご贔屓に。sola、でした。

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